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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)5962号 判決

原告

金黒春雄

被告

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金二五二三万七七八八円及びこれに対する昭和四八年六月一日から支払いずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨。

2  被告敗訴のときは担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (原告の地位)

原告は訴外亡金黒孝男(以下「孝男」という。)の父である。

2  (本件事故の発生)

孝男は昭和三四年一〇月三〇日陸上自衛隊に入隊し、同四六年一〇月三〇日に継続任用され、同四八年六月当時は同隊真駒内駐とん地(以下「本駐とん地」という。)第一一戦車大隊(以下「本大隊」という。)第二中隊(以下「本中隊」という。)に所属して陸士長の官職に在つたが、同月一二日から一七日までの間本大隊の一般命令に基づき、島松演習場における第三次大隊野営訓練に二・五トントラツク操縦手として参加し、同日朝本中隊所属の二等陸曹訴外中村効二(以下「中村」という。)を車長とする数名の隊員とともに、被告の所有にかかり、陸上自衛隊が所管する二・五トントラツク(いすずデイーゼル、車両番号二二―〇一二五。以下「本件自動車」という。)を操縦して同演習場を出発し、同日午前一〇時ころ同駐とん地に帰着した。孝男は帰着後、先ず本件自動車がけん引してきた水トレーラーを本中隊の駐車場に置き、その際車長の中村に対し、同車を洗車したい旨申出たところ(なお、演習終了後の車両の洗車は、操縦者にとつて重要な任務の一つであつた。)、同人から、洗車は同車に積載されている武器、補給装備品、個人装備品の卸下作業を完了した後にせよ、との指示を受けたため、午前一〇時三〇分ころから右諸物品の卸下作業及びこれに引続き武器手入れ、個人装備品の整理作業に従事し、これらの作業を完了した午後零時ころ、前記指示に基づいて同車を洗車すべく、単独で(助手をつけずに)これを操縦して本駐とん地の南東に位置する本大隊の装軌車洗車場(以下「本件洗車場」という。)に赴き、午後零時五分ころ同所に到着した。

別紙図面にみられるとおり、本件洗車場は、地面にたて(東西方向)八・七〇メートル、よこ(南北方向)一七・三五メートルの矩形にコンクリート舗装を施し、四か所に水道設備を設けた施設であつて、その南北両側に西側を走る東一号道路とを結ぶ通路が開設され、その両側の通路からそれぞれ二台の車両が同時に同洗車場に出入できるよう設計されており、一方、右道路及び各通路並びに本件洗車場によつて囲繞される土地(同図面中点線を施した部分)の東側部分は、東方向にゆるやかな勾配で傾斜する斜面を形成していた(以下「本件傾斜面」という。)が、孝男が前記のとおり同洗車場に到着したときには、その南北両側の出入口付近に前日洗車を完了した戦車四台(いずれも被告所有で本大隊第四中隊所管のもの。)がシートを覆われた状態で駐車したまま放置されており(その駐車位置は同図面〈1〉ないし〈4〉に示す。)、このため、右各通路を経由して本件自動車を同洗車場内に進入させることは不可能な状況にあつた。そこで、孝男は本件自動車を本件傾斜面にその南端部分から乗り入れ、別紙図面〈1〉の場所に駐車していた六一式戦車(車両番号九〇―六二〇一。以下「本件戦車」という。)のすぐ西側に本件自動車を斡めに停車させ(同図面〈5〉の位置)、同車の運転席から進行方向右側(以下において左右の方向を表わすときは同車の進行方向(南から北)を基準とする。)の地上に下車したところ、同車の右前輪が右のような停車状態において地上から浮きあがつていたことから、孝男の右下車動作の際、同車は、その車体の比重が右前輪に移つて右傾し、車輪の自転により同傾斜面を滑走し、その右前部を同戦車の左後部に激突させた。このため、本件自動車と本件戦車の間隙に立つていた孝男は、同自動車の右フエンダー上部と同戦車の左後部キヤタピラ上部との間に胸部を強くはさまれて負傷し、同日午後零時二〇分ころ本件洗車場付近を通りかかつた同僚隊員の手で救出され、最寄りの札幌地区病院に収容されたが、同日午後二時一四分ころ胸部圧迫挫傷、肺臓損傷により同病院において死亡した。

3  被告の責任原因

(一) 公の営造物の設置及び管理の瑕疵

本件事故当時、本駐とん地内において陸上自衛隊が使用、管理する車両数は、装軌車、装輪車をあわせて約九五〇両、これにトレーラーを加えた総数は約一〇〇〇両に達していたが、他方、これらの車両の洗車施設はきわめて貧弱で、水洗設備を完備した洗車場はわずかに本件洗車場のみであり、他は車庫や器材庫の一部を利用するという程度のものであつたから、右駐とん地に駐在する各大隊(本大隊、第一一特科連隊第五大隊、第一一施設大隊)の隊員らは、装軌車、装輪車の洗車にあたつて、一般に設備の整つた本件洗車場を利用する傾向にあり、同洗車場の利用率はきわめて高い状況にあつた。このため、隊員らが装軌車又は装輪車の洗車を目的として本件洗車場を訪れた場合、本件におけるように、すでに洗車を完了した他の車両が同洗車場に放置されてこれを占拠しているときは、本件傾斜面に自車を斜めに停車させた状態で洗車するとか、或いは同斜面を経由して自車を同洗車場中央部に進入させて洗車する等の方法をとることが客観的に予測されるところであり(現実に右のような方法により洗車をしていた隊員も居るものと思われる。)、かかる方法をとつた場合同傾斜面に停車し又はこれを通過する車両が同斜面から滑降下し、同洗車場に居る人間の生命及び身体に危害を及ぼす虞れが多分にあつたといわなければならない。

従つて、被告としては本駐とん地内に水道設備を完備した洗車場を増設して、本件洗車場の過度利用を緩和するよう配慮する一方、同洗車場の管理を強化し、洗車を完了した車両は速やかに他所へ移動させて同洗車場利用の回転率を高めるほか、本件傾斜面に土盛りをして側壁を設ける等の方法により、同傾斜面への車両の乗り入れを防止する等の措置を講じて、同洗車場を利用する隊員らの生命及び身体の安全を確保すべきであつた。しかるに、被告は右のような措置をなんら講ずることなく放置していたのであるから、公の営造物たる本件洗車場及びこれを含む本駐とん地内の洗車場全体の設置及び管理に瑕疵があつたというべきであり、この瑕疵が原因となつて本件事故が発生したものである。

(二) 安全配慮義務違背

被告はその被用者たる国家公務員に対し、当該公務員が被告又は上司の指示のもとに隊行する公務の管理にあたつて、その公務員の生命、身体を危険から保護するよう配慮すべき一般的義務を負い、その具体的内容は当該状況に応じて個別的に措定されると解すべきである。しかして、本件においては、孝男の公務の遂行を指揮監督し、被告の右義務の履行補助者たる地位にある自衛官らが、右義務に違背したことにより本件事故が発生したものである。すなわち、

(1) 本件自動車(自重五トン、積載重量五・六九五トン)のような大型重量車両の洗車は危険度の高い作業であるから、その実施を指示する上司たる自衛官は、車両の操縦者のほか、その誘導にあたる助手を付して、複数人で右作業にあたらせるよう配慮すべき義務があるところ、前記のとおり、孝男から洗車の申出を受けた中村は、右義務に違背し右申出に対して単に、積載荷物の卸下作業完了後にせよ、との指示をしただけで助手の任命をせず、その後も助手の任命を怠つて、孝男が単独で本件自動車の洗車に赴くという事態を作出したのであるが、仮に孝男が助手を同行していれば、本件事故は発生しなかつた(少くとも孝男は助手の手によつて直ちに救出され、生命をとりとめた。)のであるから、同事故は中村の右義務違背によるものである。

(2) 前記(一)のとおり、本件事故当時本件洗車場には、すでに前日洗車を完了した戦車四台が放置されており、これが同事故の一因となつたのであるが、同洗車場の管理の任にあたつていた本大隊隊長岩崎晋は、その部下に対し、洗車の完了した車両を同洗車場に放置することなく、直ちにこれを移動すべき旨の指示を徹底してこれを遵守させ、もつて本件のような事故の発生を未然に防止すべき義務があるのに、これを怠つたり、同事故を発生せしめたものである。

(三) 自動車保有者の運行責任

本件事故の発生態様は前記2のとおりであり、一時停止したにすぎない本件自動車はもとより、前日から駐車していた本件戦車も洗車目的のため車庫から出ていたものであるから、なお車両の使用が継続されていたものということができ、従つて右両車両とも被告の運行の用に供されていたというを妨げない。しかして、孝男は、本件戦車に関しては「他人」であることが明らかであり、また、本件自動車については、エンジンを停止させ、ギアを中立にし、サイドブレーキを引くなど同車の運転操作を完了したうえ車を離れたのであつて、同自動車の滑走は同人の運転操作とはなんら関係のない原因によるものであるから、同自動車に関しても「他人」であるというべきである。

してみると、本件事故は、被告が保有する本件自動車及び本件戦車の運行によつて孝男の生命が侵害されたものにほかならない。

(四) 以上のとおりであるから、被告は、右(一)の場合は国家賠償法二条一項に、右(二)の場合は信義則上負うべき安全配慮義務の違背に、右(三)の場合は自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に該当し、本件事故により原告が被つた損害を賠償すべき責を負う。

4  損害

(一) 孝男の逸失利益

孝男は本件事故当時満二二歳八カ月で、同事故に遭遇しなければ、少くとも満六七歳に達するまでは生存し、かつ、就労し得たものである。そして、孝男は生存していれば、昭和四九年一〇月二九日の任期満了までは、自衛官として陸上自衛隊に勤務し、防衛庁職員給与法別表第二自衛官俸給表(同四九年四月一日以降同五〇年三月三一日までのもの)に準拠した俸給の支給を受け、同表所定の退職手当を得て陸上自衛隊を退官した後、同年同月三〇日以降は民間企業に就職して満六七歳に至るまで、少くとも労働大臣官房統計情報部編昭和五〇年賃金構造基本統計調査表第一表小学、新中卒欄記載の平均給与額を取得し得たはずである。一方、孝男の生活費控除割合は全就労可能期間を通じて五〇パーセントとみるのが相当であるから、右収入予定金額から右生活費額を控除した純収入額を向う四五年にわたつて収受するものとし、ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して本件事故当時の現価を算出すると、別表のとおり合計金二三九五万一三〇八円となる。

原告は孝男の唯一の相続人として、同人の右損害賠償債権全額を相続した。

(二) 損害の填補

原告は孝男の死亡に伴い、被告から遺族補償費一時金二三四万四〇〇〇円、葬祭補償金一四万〇六四〇円、退職手当金二二万八八八〇円の合計金二七一万三五二〇円の支給を受けたから、これを右相続債権額から控除すると金二一二三万七七八八円となる。

(三) 慰藉料

孝男は原告にとつて唯一の息子であつて、同人の突然の死去により原告が被つた精神的打撃は大きく、これを慰藉するには金四〇〇万円が相当である。

(四) 従つて、本件事故により原告に生じた損害の額は合計二五二三万七七八八円となる。

5  結論

よつて、原告は被告に対し、損害賠償として金二五二三万七七八八円及びこれに対する孝男の死亡後の日である昭和四八年六月一八日から支払いずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否等

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

但し、孝男が本件自動車を洗車するため本件洗車場に到着した時刻は不知、本件事故当時本件戦車ほか三台の戦車が同洗車場に放置されていたとの点は否認する。右四台の戦車はいずれも洗車後の乾燥のため本件洗車場に駐車していたものである。

なお、孝男の死因は「胸部圧迫挫傷、肺臓損傷」ではなく、「胸部圧挫傷」である。

3(一)  同3(一)の本件洗車場の設置又は管理に瑕疵があつたとの主張は争う。

一般に、公の営造物の設置又は管理の瑕疵とは、当該営造物が通常有すべき安全性を欠いている状態をいうのであるが、原告主張の各瑕疵は洗車場が通常有すべき安全性とはなんら関係のないものである。

(二)  同3(二)(1)のうち、一般論として、被告が被用者たる公務員に対し原告主張のような安全配慮義務を負つていることは認めるが、本件において中村が右義務に違背したとの点は否認する。

車両の洗車作業自体は、これに従事する公務員にとつてなんら危険な作業ではないから、中村が洗車助手の任命をしなかつたからといつて、それが孝男の安全に対する配慮を欠いたことにはならない。

(三)  同3(三)の被告の自動車保有者としての運行責任に関する主張は争う。

(1) 一般論として、停車又は駐車中の自動車に関して発生した人身事故が、当該車両の「運行」により生じたものと評価される場合のあり得ることは、これを否定しないが、右のような場合とは、駐車又は停車中の自動車がさらに走行を継続する前提のもとに道路の一部を占有しているとき(例えば、自動車の保管場所とはなし得ない交通頻繁な公道上で運行を継続する目的あるいは故障修理のため一時駐車しているとき。)に事故が発生した場合とか、停車又は駐車中に生じた事故が当該自動車の運行と密接な関係を有する場合(例えば、停車直後のドアの開閉による事故)に限定されるべきところ、本件戦車は一般人が立入ることができない陸上自衛隊駐とん地内の本件洗車場に、洗車完了後の乾燥のためシートで覆われて駐車していたのであるから、これを「運行」中と評価できないことは明らかである。

(2) また、自賠法三条にいう「他人」には事故車の保有者、操縦者及びその補助者等は含まれないものと解すべきところ、前記のとおり、停車又は駐車中の自動車に関する人身事故でも、「運行」によるそれと評価し得る場合があるとすれば、「操縦者」の概念もこれに対応して考えるべきであつて、これを自動車を現に操縦している者のみに限定するのは不合理である。本件においては、孝男は自ら操縦していた本件自動車を本件傾斜面に停車させて下車した直後、前記のような原因に基づく本件事故に遭遇したのであるから、いまだ同車両の操縦者としての地位を離脱していなかつたものというべきである。

4(一)  同4(一)の事実は不知(但し、孝男が陸上自衛隊除隊後満六七歳まで就労し得たはずであることは認める。)、損害額は争う。

(二)  同4(二)の事実は認める。

(三)  同4(三)の事実は不知、損害額は争う。

5  被告の主張

本件事故当時、本駐とん地内には本件洗車場を含めて七か所の洗車場が設置されていたが、本件洗車場に赴いた孝男は中村から、とくに同洗車場で洗車すべき旨、又は洗車を急ぐべき旨を指示されていた訳ではないから、前記のとおり、同洗車場に乾燥中の戦車四台が駐車し、その南北両側の通路からの進入が不可能であることを発見した場合は、他の洗車場の使用許可を求めるとか、駐車中の戦車の移動を求めて本件洗車場を利用する等の方法をとるべきであつた。

しかるに、孝男は、本件傾斜面のような場所に自動車を停車して下車すれば、車体の比重が下車した側に傾き、車輪が自転して滑走する危険があることは客観的に予測されたのに、漫然とかかる危険はないものと軽信し、無謀にも同傾斜面に本件自動車を乗り入れて停車させ、これから下車したため本件事故に遭遇したものであつて、同事故は同人の一方的な過失に基づくものである。従つて、被告は本件事故につきなんらの責任も負わない。

第三証拠〔略〕

理由

一  本件事故の態様

請求原因2の事実は、孝男が本件洗車場に到着た時刻(本件事故当時同洗車場に四両の戦車が「放置」されていたこと、同人の死因を除き当事者間に争いがなく、更に証拠上次の事実が認められる。

1  成立に争いのない甲第三号証によれば、本件自動車は全長七・一〇〇メートル、全幅二・二八〇メートル、全高二・九九五メートル、車両重量五・六九五トン、積載量五・〇〇〇トンであつたことが認められる。

2  孝男が本件洗車場に到着した時刻及び本件事故が発生した時刻は、これを直接に認め得る証拠はない。わずかに、孝男が中村から命じられた本件自動車の積載物品の卸下作業を終了したのは午後零時ごろであり、孝男が同自動車と本件戦車の間にはさまれて負傷しているのを同僚隊員により発見されたのが午後零時二〇分ごろであることは、前記のとおり当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第七号証によれば、同人は右発見に至るまで、五分以上継続してはさまれた状態にあつたことが認められるから、結局、同人は午後零時ころから零時一五分ころまでの間に、洗車のため同洗車場に赴き、本件事故に遭遇したとの認定に留めざるを得ない。

3  成立に争いのない甲第四、第五号証及び乙第一号証の一ないし、四、第二、第三号証によれば、本件事故当時の本件傾斜面は一面雑草に覆われた整地されていない土地で、孝男が本件自動車を停車させた地点付近における東西方向の断面形状は、高さ約七〇センチメートル(本件洗車場の平面を基準として)、底辺約二メートル、東側約半分の部分の勾配が約一四度、西側約半分のそれが約三〇度であつたことが認められる。

4  前掲乙第三号証、成立に争いのない乙第七号証、証人小林博人の証言によれば、本件事故当時、本件洗車場に駐車していた四両の戦車は、いずれも前日洗車を完了し、事後の乾燥のため置かれていたものであることが認められる。

5  前掲乙第三号証、成立に争いのない乙第四号証、証人小林博人の証言(但し一部)によれば、孝男が本件傾斜面に本件自動車を停車させたとき、同車の右側前後輪は前記勾配約一四度の斜面上に、左側前後輪は勾配約三〇度の斜面上にそれぞれあつて、車体は全体として右傾し、とくに右前輪下の土地は極端な窪地となつていたこと、その際、同人は同車のエンジンは停止させたが、ギアは中立にし、サイドブレーキはかけていなかつたことが認められ、他方、右各証拠(但し乙第三号証を除く。)、前掲乙第七号証、成立に争いのない乙第一号証の四ないし七によれば、同人は本件洗車場に赴く際、同車の左前部アンダーミラーに洗車用ホースを巻きつけていたこと、同人が同車と本件戦車の間にはさまれた状態で発見されたとき、同人の身体の前方路上に同車備付けの車輪止めが落ちていたことが認められるから、これらの事実によれば、同人は本件傾斜面に同車を停車させて、同所で洗車する意思であつたことが推認される。

6  前掲乙第二、第三号証によれば、孝男が本件自動車を停車させた位置と本件戦車の駐車位置との間隔は、最も狭いところで二五センチメートルないし三〇センチメートル足らず、最も広いところで一一〇センチメートルを僅かに超える(三〇センチメートルに満たない。)程度であつたことが認められる。

7  成立に争いのない甲第七号証及び乙第七号証によれば、孝男の死因は胸部圧挫傷であつたことが認められる。

二  被告の責任の有無に対する判断

1  営造物の設置又は管理の瑕疵について

(一)  原告は、請求原因3(一)のとおり、被告の本件洗車場及びこれを含む本駐とん地内の洗車場の設置又は管理に瑕疵があつた旨主張する。

(二)  証人小林博人の証言によれば、本件事故当時本駐とん地内には本件洗車場を含めて七か所に洗車場が設けられており、うち二か所は戦車等の装軌車の洗車が可能なもの(本件洗車場はその一つ。)であつたことが認められるが、これらの洗車場はいずれも陸上自衛隊が管理、使用する車両の洗車という目的に供用されている有体物であるから(この点は弁論の全趣旨により認められる。)、公の営造物に該ることは明らかである。

しかしながら、本件事故当時陸上自衛隊が本駐とん地内で管理、使用していた車両数、その洗車頻度等を確認し得る証拠はなく(わずかに、証人中村の証言により、本大隊所属の車両数が戦車約四〇両、装輪車約二〇両であつたことを認め得るに留まる。)、右七か所の洗車施設をもつては、本駐とん地所属の車両の洗車を賄うに不足する状態にあり、とくに本件洗車場が集中的に利用されていたことを認め得る証拠もない。

(三)  一方、本件事故当時本件洗車場には、前日洗車を完了した本大隊第四中隊所属の戦車四両がシートに覆われた状態で、乾燥のため駐車していたことは前記のとおりであり、成立に争いのない甲第一二号証の一、二、証人小林博人の証言及び検証の結果によれば、同事故後に至つて同洗車場とその西側を走る東一号道路との中間の草地に、同洗車場を管理する本大隊の名で、同洗車場の使用規則を記載した立札が設けられたが、右規則中には「洗車前後の車両を残置しないこと。」という項目が掲げられているのが認められること並びに同証言によれば、本件事故当時本大隊においては、同洗車場で洗車を完了した車両を速やかに移動すべき旨の特段の指示はなされていなかつたものと推認することができる。また、右当時の本件傾斜面の状況は前記のとおりであるが、成立に争いのない甲第二号証の一ないし四、第一二号証の三、四、検証の結果によれば、現在では、同傾斜面を形成していた土地部分のうち同洗車場の西側に接する部分は、約七〇センチメートルの高さに土盛りをしたうえ、その土盛りの東端に堅く厚い板で側壁を設けており、少くとも現在では同傾斜面を経由して直接車両を同洗車場に乗り入れることは不可能であることが認められる。

しかしながら、国家賠償法二条にいう公の営造物の設置又は管理の瑕疵とは、当該営造物の構造、用途、場所的環境、通常の利用者の判断能力及び利用状況等を具体的に考慮して、通常予想される危険の発生を防止し得べき措置(設備又は管理方法等)が欠如している状態をいうのであつて、当該営造物についておよそ想像し得るあらゆる危険の発生を防止する措置を講じていないからといつて、その設置又は管理に瑕疵があつたと断ずることはできない。これを本件についてみると、本件洗車場は本駐とん地内に設けられ、陸上自衛隊が管理、使用する車両の洗車に利用されていたものであること(この点は前記のとおりであり、同洗車場が通常一般人の利用を許さないものであることは弁論の全趣旨により明らかである。)、本大隊においては、洗車の実施は隊員らの恣意に委ねられていたわけでなく、訓練幹部のもとで洗車時期、洗車場、要員等を調整し、一定の計画に基づいて実施されていたこと(この事実は、証人小林博人、同中村の各証言及び弁論の全趣旨によりこれを認める。)、本駐とん地所属の隊員らが、本件におけるように本件洗車場が他の車両によつて占拠されている場合、同傾斜面に車両を停車させて洗車するとか、同傾斜面を経由して車両を同洗車場に乗り入れたうえ洗車する等の方法をとるのが常態であつたとは証拠上認め難いこと等に鑑みれば、同洗車場について通常発生が予測される危険は、戦車又は本件自動車のような大型重量車が洗車場に出入し、或いは同所施設内で洗車作業をするに際して、その周辺の人間又は車両と接触、衝突する危険であつて(前掲甲第一二号証の一、二、検証の結果によれば、同洗車場の西側に設けられている前掲立札には、使用規則の一として、洗車は複数人で行うべき旨が掲げられているが、これは右のような危険を防止するため、洗車に際しては補助員による車両の誘導を要するとの趣旨であると解される。)、原告主張のような、洗車目的のため同傾斜面に車両を乗り入れることによつて生ずべき危険は、少くとも通常予想し得る危険とはいい難い。

してみると、被告が、前記のように、本件洗車場で洗車の完了した車両につき速やかに移動させるよう管理をなさず、また、本件傾斜面に土盛りや側壁を設けていなかつたとしても(右のような措置がなされていなかつたからといつて、直ちに原告の右主張のような危険の発生に連なるといい得るかは疑問であるが、この点は別個とする。)、これをもつて被告の同洗車場の設置又は管理に瑕疵があつたということは難しい。

(四)  従つて、原告の右(一)の主張は肯認できない。

2  安全配慮義務違背について

原告は、請求原因2(一)、(二)のとおり、孝男の指揮官である中村及び本大隊長岩崎晋に孝男に対する安全配慮義務違背があつたと主張する。

孝男が本件事故の当日中村に対して本件自動車の洗車の申出をした際、同人は、積載物品の卸下後にせよと答えたのみで、とくに助手を命ずることはせず、その後も孝男が本件洗車場に赴いたことを了知せずに放置していたこと、本大隊隊長は本件洗車場の管理責任者であつた(右事実は前掲甲第一二号証の一、二及び弁論の全趣旨によりこれを認める。)が、同隊においては同洗車場で洗車を完了した車両を速やかに移動すべき旨の特段の指示はなされていなかつたことは、いずれも前記のとおりである。

しかして、本件において、孝男から本件自動車の洗車の申出を受けた中村がその洗車を命ずべき地位にあつたか否か、その際又は孝男が本件洗車場に赴くまでの間に、中村に助手を命ずべき義務があつたか否か、また、岩崎晋に洗車後の車両を同洗車場に残置しないよう指示すべき義務があつたか否か、はともかくとして、中村及び岩崎晋の右義務違背と本件事故との間に相当因果関係があつたということはできない。

けだし、前記のとおり、本件事故当時本駐とん地内には本件洗車場のほか六か所の洗車場が設置されていたこと(なお、証人小林博人の証言によれば、右六か所の洗車場のうち本件洗車場最寄りのそれは、同洗車場から約二〇〇メートルの位置にあつたことが認められる。)、同駐とん地における車両の洗車は、訓練幹部のもとで洗車時期、洗車場、要員等を調整のうえ実施するのが原則であつたことに鑑みれば、本件洗車場の管理責任者たる本大隊隊長及び部下に洗車を指示する上官は、洗車の命を受けて本件洗車場に赴いた隊員が、同洗車場にすでに洗車を完了した他の車両が残置され、その南北に設けられた通路からの進入が不可能である場合には、改めて上官に対し洗車場若しくは洗車時期について指示を求め、或いは自主的に他の洗車場に赴き、又は残置されている車両の管理部隊に連絡して車両の移動を求める等の行動をとるであろうと期待するのが通常であるから、右中村又は岩崎普の義務違背と本件事故との間に相当因果関係があるというためには、中村又は岩崎普において、孝男が本件自動車を、かなりの勾配をもつ本件傾斜面に斜めに、しかも残置されている車両に近接した位置に停車させて洗車するとか、同傾斜面を経由して本件洗車場の中央部に乗り入れて洗車するなどの行動に及ぶことをとくに予見し又は予見し得たことを要するが、この点を肯認し得る証拠はない。

従つて、原告の頭書の主張は採用の限りでない(仮に中村に義務違背があるとしても、これと本件事故との間に相当因果関係が認められない以上、孝男の死亡との間にも相当因果関係が認められないのは当然である。)。

3  自賠法三条の責任について

原告は、請求原因3(三)のとおり、本件自動車及び本件戦車の保有者である被告に損害賠償責任があると主張する。

本件自動車及び本件戦車がともに被告の所有車両であり、陸上自衛隊がこれを管理、使用していたことは前記のとおりであるから、被告は右各車両の(自賠法三条にいう)「保有者」というべきである(なお、本件戦車が同法二条一項、道路運送車両法二条条二項にいう「自動車」に該当することは明らかである。)。

(一)  そこで、まず孝男が本件自動車に関して自賠法三条の「他人」といえるか、について検討する。

孝男が本件自動車の操縦者であつたことは前記のとおりであるところ、自賠法三条の「他人」には文理解釈上、事故車の所有者、操縦者(運転に従事する者)及びその補助者は原則として含まれないと解すべきではあるけれども、なお、当該事故の原因、態様その他事故の具体的状況に照らして、当該事故発生の際、操縦者がその地位を離脱していたと認められる特段の事情が存する場合には、操縦者といえども同法三条にいう「他人」に該当するものと解するのが、被害者保護の精神に合致すると考えられる。

しかるに、本件においては、前記のとおり、孝男はかなりの勾配をもつ本件傾斜面に斜めに本件自動車を停車させたのであつて、同車の車体はもともと右傾し不安定な状態にあつたこと、孝男が本件事故に遭遇したのは同車から下車した直後であり、その際同人は同車のエンジンは停止させていたものの、ギアーは中立にし、サイドブレーキはかけていなかつたこと(前掲乙第三号証によれば、右のような状態で同車を同傾斜面に停車させた場合、同車は約一メートル滑走するが、ブレーキを一ぱいに引いた場合は約七センチメートル滑走するに留まることが認められる。)、孝男は同車の運転席右側から下車したのであるが、このためもともと右傾していた同車の車体の比重が右前輪に移り、更に右傾するに至つたこと等の諸事実によれば、同事故は同人の同車操縦行為と密接な関係を有していることが明らかであつて、この点からみて孝男はなお、同車の操縦者の地位を離脱していなかつたものというべきであり、同車が惹起した同事故に関し自賠法三条の「他人」とは認め難い。

(二)  次に、本件事故が本件戦車の「運行」によつて生じたものといえるかについて検討する。

自賠法三条にいう自動車の「運行」とは、同法二条二項に定めているとおり、自動車を当該装置の用法に従つて用いること、すなわち自動車を原動機により移動せしめることをいうものと解すべきであるが、同法三条には「自己のために自動車を運行の用に供する者は、その運行によつて他人の生命又は身体を害したときは、これによつて生じた損害を賠償する責に任ずる。」と規定しているから、同条による損害賠償責任は自動車の運行中に事故が発生した場合に生ずるのみならず、自動車がたまたま停止している場合の事故であつても、その事故発生と自動車の運行との間に相当因果関係がある場合には右損害賠償責任が生ずるものと解すべきである。

しかしながら、本件事故は、前記のとおり、すでに前日から洗車後の乾燥のため本件洗車場に駐車していた本件戦車に、本件傾斜面を滑走してきた本件自動車が衝突したことによつて発生したものであつて、同戦車の運行中に発生したものでないことはもとより、右事故の発生と同戦車の運行との間に相当因果関係があるとは到底いえない。

(三)  従つて、原告の頭書主張もまた採用することはできない。

三  結論

以上のとおりであるから、原告の本件請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山田二郎 矢崎秀一 小池信行)

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